アイドル☆エージェント
「うえー、リドウがいる……」 エルがかわいらしい眉間におもいきり皺を寄せてつぶやいた。 先ほどまで楽しそうにはしゃぎながら、はやくはやく、とルドガーとジュードの前を駆け回っていたかわいらしい少女は、廊下の突きあたりを曲がった先を見るなり驚いた様子で舞い戻ってきた。警戒するように向こうを見つめ、むうとくちびるをとがらせる。 「おいおい、仕事にオコサマ連れとは良いご身分だなぁルドガーくん……いや、もう良いご身分なんだったな。これは失礼いたしました、副・社・長・ど・の」 曲がり角から現れた真っ赤な人影、リドウの第一声はわざとらしい敬語の嫌味な挨拶だった。 分史対策室のエージェントになり、ルドガーたちがクランスピア社に出入りするようになってからそれなりに経つ。しかし、断る選択肢などない状況で半ば強制的にエージェントに任命され、事情も飲み込めぬまま慌ただしく任務をこなしてきたルドガーたちは、分史対策室やそれに関わる場所以外のフロアに出入りしたことはあまりない。なんといっても『ティッシュペーパーから空中戦艦まで』を謳う天下のクランスピア社、その言葉に違わぬほど広く事業を手がけているために、それなりに慣れた社員であってもどこでどんな仕事が行われているのかもわからないほど、ありとあらゆる業務がこのオフィスで進められている、らしい。それは社内でもトップクラスの極秘任務にあたっている分史対策室が最たるものであるはずなのだが、逆に最初にそちらから入ったルドガーにとっては、あまりぴんとこない話であった。 そして今日は、普段あまり出入りしない広報宣伝に関わる部署が入っているフロアに用がある。見慣れない顔ぶれの社員たちが忙しなく動きまわる中、ちらちらとこちらを見る好奇の目線をいくつも感じた。エルというおおよそオフィスには似つかわしくない幼い少女を連れているせいなのか、研究開発職の人間には名の知れているジュードへの羨望のまなざしか、それともそれはある日突然に副社長へ任命された謎の青年であるルドガー自身へ向けられたものか――と、詮なきことを考えつつも、頭の中で目的地への地図を描きながら歩いて行く。 ルドガー、つぎどっちー?と、初めて訪れるフロアに興味津々といった様子で、エルが楽しそうにきょろきょろとあたりを見回す。そんなエルをそこ右、とか突きあたりまでまっすぐ、などと操縦しながら歩いていたところ、曲がり角のむこうから見覚えのある趣味の悪い真紅のスーツが覗いたのだった。 「リドウさん、ルドガーの仕事は本当に危険ではないんですね?」 念を押すようにジュードが問いかける。 「安心してほしいね、ドクター・マティス。大変光栄なことに、今日の俺はルドガー副社長と一緒のお仕事にご指名を頂いているんだ。そんなに警戒されてちゃ仕事にならないなあ」 「……ねえ、ルドガー、ほんとにだいじょーぶ?」 「大丈夫だよ……たぶん」 心配そうな目でエルがルドガーを見上げる。隣を見るとジュードも同じようにこちらを見ていて、思わず笑ってしまった。 「あはは、心配してくれてありがとう。でも大丈夫だ」 「そっか、わかった。じゃあ僕たちは隣で待っているから、なにかあったらすぐ呼んでね」 やっぱりエルがついていってあげようか?と、まだ不安げなアイボーの申し出は気持ちだけありがたく受け取ることにして、ジュードへエルを頼むことにした。広報担当の若手社員に案内され、指定されている控室へ向かう後ろ姿を見送る。 ルドガーはそのままリドウと二人、今日の仕事場へと向かう。重く大きな扉を開くと、先ほどまでのデスクが並ぶいかにもオフィスといった景色とはがらりと変わり、まばゆいライトと大げさな機材が立ち並ぶ撮影スタジオが広がっていた。 「仕事にまで付き添いがついてくるとはさすがは我らが副社長どのだ、仲良しこよしのお仲間にいつでも見守っていてもらわないと出かけられないなんて、頼りになるねぇ」 「これでもジュードとエル以外のみんなには待っていてもらうようにお願いしたんだ」 「ドクター・マティスも過保護なこった。ちゃんと聞いてるんだろ、今日の仕事はクランスピア社が出している広報宣伝用の写真撮影。まったくもってくだらない、安全この上ない仕事だぜ?」 「仕事内容じゃなくて、リドウと一緒の仕事なのが一番の不安要素なんだよ……」 思わずため息を漏らす。ああ、幸せが逃げていく音がする。 「しかし副社長になった途端にアイドル活動とは意外ですねぇ? 副社長どの」 「こっちは2千万ガルドの借金の返済に追われてるんだ。効率よく稼げる仕事、しかもクランスピア社の公式なオファーで危険もない、となれば断る理由なんてないだろ」 写真撮影と聞いて正直なところ最初は戸惑ったが、人気エージェントともなればこういう仕事もあるのだとヴェルが言っていた。親衛隊がつくリドウやユリウスのようなエージェントともなれば、クランスピア社としてもその知名度を活かすためにメディアへの露出もそれなりにある、とか。 リドウとの仕事、しかも自分がモデルの写真撮影。ルドガーにとってはまったくもって気の進まない仕事だった。しかし着実に返済中であるとはいえ、自分が高額負債者であることには変わりない。なんの因果か副社長という身分になってしまったが、これとそれとは別、背に腹は代えられない。実際のところクエスト依頼を受けるにしても、高額報酬の仕事となるとモンスターの討伐依頼が多い。いくら戦いに慣れているメンバーとはいえエルを連れていることもあり、自分の借金のためみんなを危険に晒すことに気が引けていたところに、楽に稼げる美味しい仕事の話が来たのだった。 「おやおや、金のためとあれば仕事を選ばないなんて、ルドガーくんも薄汚れた大人になったじゃないか。大好きなお兄ちゃんが悲しむぜぇ?」 「ぐっ、仕事を選べないような状況になったのは誰のせいだと思ってるんだ……」 「君の命を救ったのは俺なんだけど、何か不満がおありで? 副社長どの」 「イイエナンデモゴザイマセン」 「OK、それでいい」 副社長とエージェントの立場とはいえ、二千万ガルドの借金をしている相手でもあるため、リドウ相手では相変わらず一方的な力関係で話が進んでいく。もう一つ深いため息がすぐそこまで出かけたところで、準備をお願いします、とルドガーとリドウを呼ぶ撮影スタッフの声が響く。 「さーて、楽しい楽しいお仕事の始まりだ。ルドガーくん」 背を向けて歩き出すリドウの長い黒髪がふわりと舞う。慣れない仕事が始まる緊張感と、強烈なスタジオの光に透けるようなその後ろ姿に、思わず目が眩んだ。 * ――エル、ジュード、そこで待っていてくれてるのかな。 仕事が始まって3分、リドウにいわゆる壁ドンをされている。助けてくれ。 ルドガーの声にならない心からの救援は別室のエルとジュードには届くはずもなく、撮影担当のカメラマンは楽しそうに喋りながらひたすらシャッターを切っている。時折少し構図を変えるようにカメラマンから指示が入るものの、顔の向きを変えたり、足の置き場を変えたり、細かい指示ばかりで、この撮影はいつ終わるんだろうという思いばかりが頭のなかをぐるぐると巡った。 「あのさ、リドウ……これはちょっとわざとらしくないか?」 「こういうのを混ぜておくと女性受けがいいんだよ」 「計算してるのか……」 「当たり前だろ。エージェントだって人気があるに越したことない。部署レベルの業務とは違って、こういう個人宛の仕事は儲かった分だけ自分の取り分だ。計算上等、稼いでおかない理由はないぜ? 金が必要なんだろ、ルドガーくんは。なぁ?」 「そりゃそうだけどさ。でも演技してるみたいで気が引ける」 「クランスピア社を応援してくださる皆様へ夢を届ける大切なお仕事だぜ?」 「どの口が言うんだ……」 二人一緒に写真を撮らせてくださいね、と言われてカメラマンの前に立ってみたものの、どうしたらよいかわからずリドウの様子を伺うルドガーに、リドウが呆れたように大げさなため息をついてからこの状態になるまで、一瞬だった。あまりの展開についていけずもぞもぞと動いていたら、写真撮影なので当然のように動くなという指示を頂いてしまい、おとなしく壁際におさまることしかできなかった。 リドウの長い髪が、揺れるたびにルドガーの頬をかすめていく。香水だろうか、鼻先に迫る手首から優しいシトラスがふわりと香る。真紅のスーツの上に黒と金が入り交じる髪がなめらかに流れていて、視界が区切られていく感覚に陥る。広いスタジオの中でこの小さな世界に閉じ込められたような気がして、淡々と切られるシャッターの音がひどく耳障りだった。 セットでの撮影が終わるまで、生きた心地がしなかった。これまでどちらかといえば対立する立場にあることも多かったリドウがこうしてすぐ傍にいて、一応は同じクランスピア社の社員として仕事をしているこの状況は、急に副社長に任命されたときのことのように、どこか現実感に乏しかった。そのくせどうにも落ち着かなくて仕方ないのは、目の前で揺れる髪に肌をくすぐられたせいかもしれないと思った。 「なんていうか、リドウってこういうの、上手いよな」 その後もカメラマンに言われるがままにぎこちなくポーズを取るルドガーと違って、撮られ慣れているせいだろうか、次々とカメラマンに好評なポーズを決めていくリドウは、確かに自分の見せ方を知っているのだと思った。ルドガー個人での撮影も終わり、カメラに向かうリドウをぼーっと眺めていると、あの性格でもたくさんの親衛隊がつく理由が少しだけわかるような気がする。自分がどう見られているのか、どうすればより魅力的に見えるのか、リドウがカメラに見せるのは計算された人気エージェントのリドウとしての、理想の姿なのだろう。 そうして聞こえるか聞こえないかの境目くらいの音量でつぶやいた感想を、それでもリドウはしっかりと聞いていたようだった。 「お褒めにあずかり光栄ですよ副社長」 「……あのさ、その敬語使うのやめないか」 「おや、そうですか? であれば仰せの通りに」 「敬語のリドウとか、気持ち悪い……」 「傷つくねぇ」 わざとらしく首をすくめてみせるリドウは言葉とは裏腹に傷つくどころか気にした様子もない。 「っていうかそういう話じゃなくて……。そうだろうとは思ってたけど、リドウって外面はめちゃくちゃ良い、っていうか、やっぱり見せるのが上手いよな。兄さんはあまりこういうの出たがらなかったみたいだけど、たしか兄さんともやたら仲良さそうに写ってる広告とかあったの、見覚えがある」 「は、最低の仕事だったぜ。お互いにな」 ユリウスの話を振った途端に表情を崩し、リドウはその端正な顔を歪めて忌々しげに吐き捨てる。いつもルドガーに見せる余裕ぶった表情とはまるで違う、かといって些末なものごとに苛ついているときのすべてを見下したようなそれともまた異なる、ユリウスの話をするときだけにする心の底から不機嫌そうな顔があることを、ルドガーが知ったのはごく最近のことだった。リドウとユリウスとの間にある長い付き合いによるものか、それとも自分がユリウスの弟という近しい間柄だからこそ感じ取れたものなのかは、ルドガー自身にもよくわからなかった。 「ああ……ユリウスと一緒の仕事は最低だったぜ。こうして隣に並んで仲良いですよ、みたいなポーズまでしてな。いつものこととはいえ、最低なことには変わりない」 それからまたリドウは滔々とユリウスがどんなに悪辣な人間かを憎々しげに、そして時には楽しげに語り始めるのだが、リドウが語る兄の話は自分が知っている優しく温和な兄のイメージとは合わないところも多い。もちろんリドウ自身がユリウスという少年時代から続く腐れ縁の同僚に対しては大概悪い面しか語らないことが大いに影響しているが、こうしてしばらく会えない間に自分の知らない兄の一面を知るのは、土足で部屋に入るような、許可なく覗き見をしているような気まずさを覚える。しかしその一方で、弟としての自分に見せることのなかった兄の姿を知りたいという思いも多少なりともあり、それを知っているリドウの話を聞いてみたいと思ってしまう矛盾した気持ちを抱える自分がいるのだった。 今、どこでなにをしているのだろう。副社長という身分不相応な肩書を背負い、かつて兄が立っていたであろう場所に、リドウの隣にいまこうして並んでいる自分を見たら、兄はどう思うだろうか。 ――兄のようなエージェントに憧れていた。いつか自分もそうなりたいと願っていた。その願いは思いがけない形で叶って、そして今となってはそれ以上の肩書を得ている。それでも。 「きっと俺は、兄さんみたいにはなれないんだな」 ぽつりと漏れた言葉は、今度はリドウの耳には届かなかったようだった。 * 「リドウさん、広報宣伝部から先日撮影した写真の確認依頼が来てると思うんですけど、そろそろ回答下さいって催促されてましたよ」 「わかった。OK、今日中に見ておく」 撮影の仕事が終わってから数週間ほど経ったタイミングで、毎度届く確認依頼と写真素材。リドウはこの作業を口では面倒くさいと言いつつも、案外嫌いではなかった。 綺麗に撮れている自分の写真を眺めるのはそれなりに好きな作業である。出来が良いものがあれば自身のGHSの待受画像候補として保存しておいてもいいと思っているくらいだ。そんな理由でリドウは比較的この類の仕事を多く入れているため、今回の写真がどの撮影だったかなどはあまり覚えてはいなかった。 だから不意打ちのようにルドガーと共に写った自分の写真を見て、一時たりとも考えたくはない憎きユリウスのことをつい思い出してしまったのかもしれない。 自分と並んで写るルドガーは、やはり半分とはいえ兄弟、かつて喧嘩をしながらカメラの前だけで無理やり仲良しごっこのふりをしていた、「あのころ」のユリウスを彷彿とさせた。 「は、残念だったな、ユリウス。お前が守っていた大事な大事な弟は、もうこの運命から逃れられやしない」 カナンの道標は、もうすぐ揃う。 思い出も愛憎も、そうなればもはや関係ない。誰かが橋になり、審判の時を迎える。その大きな流れの中に、自分もユリウスも、ルドガーも飲みこまれるのだろう。すべてが動き出す。 誰が誰のことをどう思っていようと、些末なことでしかない。 そんな青春ごっこができる時間はとっくに終わっているのだ。 写真はOKだって返事しておけ、と先ほど声をかけてきた部下に伝えてから、ルドガーと並ぶ自身の写真をゴミ箱に投げ入れる。 壁際でふたり寄り添うような、見せるために狙ったワンショットの中に写る自分はいつものように理想のエージェントの姿で、それは存外出来の良い写真になってはいたが、GHSの待受画像にする気はさらさら起きなかった。
2015.12.30 C89発行の合同誌「Seeyou Nightmare Hellogoodbye.」の執筆分