ずっと嫌いでいてあげる


  「悪くない戦いでした。このぼくにそう言わせるだけの実力があるということです、フェアリーバッジをお渡しても良いでしょう」

こうしてジムチャレンジャーにバッジを渡すのは久しぶりのことだ。それに値する、観客を熱狂の渦に叩き込むような白熱するバトルができる実力を持ったチャレンジャーを迎えることもまた、めったにないことだった。
近い未来にファイナルトーナメントで出会ったならば、今度は本気で戦ってみたいと思えるほどに。
さきほど握手を交わした手のひらをぼうっと眺めながら、前に本気のバトルをしたのはいつだったかと考えていた。

休憩と帰路につく観客の人波を避けるのも兼ねて籠もっていた控室からバトルフィールドを覗くと、興奮していた観客たちもようやく引き上げた様子だった。
がらんどうになったスタジアムに、それでもまだ熱気が残っているのを感じられる。
(なかなか、良い戦い方をするチャレンジャーだった)
先程終えたばかりのバトルを思い出しながら、最初からゆっくりと頭の中で再生していく。
自分の反省も兼ねて振り返りつつ、バトルフィールドの掃除に向かう。
これもいつしか手慣れた庭の手入れのように習慣になっていた。
バトルで散らかった砂やら水やらをおおざっぱに片付けてから、広いフィールドの端から端まで、丁寧にモップをかけていく作業。
アラベスクスタジアムは小さな町のジムだ。手伝ってくれるスタッフの数は決して多くはないが、とはいえ掃除をする人手も足りないというほどの不足ではない。
これは趣味のようなものだ。とりとめなく考え事をしながら、自分が守るべき場所を綺麗に整えていく時間は心地良い。
それを好んでやっているのだと理解してくれているスタッフたちは、こちらから声をかけない限りは干渉せず、任せてくれている。

「ビートくんもあの子もポケモンと呼吸が合っていて、こっちも熱くなった。良い戦いだったね」

ーーその穏やかな時間に、のんきな顔して踏み込んでくる無神経なひとがいる。
決して騒がしい大声ではない、けれども静かな広いスタジアムの空間に凛と響く、芯の通った声。
顔を合わせるのは久しぶりだというのに、挨拶もなしに入ってくる。そういうちょっとしたデリカシーのなさは生来のもののようで、何度口酸っぱく言い聞かせてもたいして変わらないものだから、矯正することはとっくに諦めている。それでも文句のひとつくらい言ってやろうと口を開きかけたところで、その彼女はごく自然にほうきを手にとって掃除を手伝い始めたものだから、なんだか言いそびれてしまった。

「……なんですか、あなた。いたんですか」
「ジムチャレンジ、近くで見たかったから」

聞きもしないのに話し出した内容は、現役のチャンピオンらしいものだった。

「ねえビートくん、今回のジムチャレンジであの子、勝ち残るかな」
「このぼくのフェアリージムを破ったんです、最後まで勝ち残るにふさわしいトレーナーでした。が、この先どうなるかわかりませんからね」
「なんとなくだけど、あの子は勝ち上がってくる気がしてるんだ、わたし。だから見にきた」
「そうですか」

あのチャレンジャーになにか感じるものがあったかどうか、頭の中で戦いの続きを再生し始める。
会話が途切れて、一瞬訪れる静寂。
しんとしたスタジアムに、水拭きモップの床を鳴らす音がやけに響いた。
彼女が先に砂を掃き出すためのほうきを手にとったせいで、後ろに続いて水拭きしていくぼくは自然と、彼女の背中を見る形になる。
ーーいつだって、ぼくよりも少し先を歩いていた。
追いかけているみたいなその構図は、なんとなく腹立たしいと思った。

「ジムチャレンジのあのかた、幼なじみと一緒のチャレンジ、なんて言ってましたっけ。なんだかあなたと彼を思い出して癪に障ったので覚えていますよ」
「癪に……相変わらず嫌われてるね、わたしとポップ」
「最初から変わることなく嫌いですよ、あなたのことなんて特にね。ずっと言っているでしょう」
「知ってるよ、ずっと」
「本当にわかっているんですかね」

あなた鈍いですからねと言うと彼女は振り返って、わかっているのかいないのか、あはは、と笑った。
だから、なるべくちゃんと聞こえるように、大げさにため息をついてやった。

「もうすぐまたトーナメントが始まる時期なのに、チャンピオンがこんなところでおしゃべりなんて、余裕なんですね」
「余裕なんてないよ。新しいジムチャレンジャーだけじゃない、ホップもマリィも、ビートくんも。みんなどんどん成長していくから、わたしも負けられない」
「ならぼくに付き合って掃除なんてしてないで、さっさとお帰りになってトレーニングでもしたらどうですか」
「あれ?」

きょとん、とした顔で彼女が振り返る。

「ざっと片付けたらバトルしてくれるんだと思ってたけど、しないの?」
「え」
「あ、そういえば丁寧にモップかけてるし、もう今日はスタジアム閉めるつもりだったり……?」
「……」

ーーああ。
こういうところだ。
何度嫌いだと言ってもまた忘れたようにぼくに話しかけて続けて、何度しつこくバトルを挑んでも楽しそうにぼくと戦い続けるところ。
いつだってポケモンのことばかり考えていて、それ以外はどこか抜けている、二重の意味でばかなところ。
そういうあなたのことが。

「ほんと、嫌いだ」
「えっ?」
「ええ、いいですよ。もちろんですよ。やりますよ、やるに決まってるじゃないですか。毎回ぼくから言わないとわからないんですか、言っているでしょう、あなたはぼくと戦うべきだ。もういいですほうきも返してくださいすぐに片付けてきますから、せいぜい準備を整えて待っていればいいんです。なにぼんやりしているんですか」
「あっ、はい、ありがとう、わかった」
「チャンピオンだからって慢心して気を抜かないでくださいよ。このぼくがさっさと負かしてあげます、負けたあとに油断してたなんて言い訳されても聞きませんからね」
「いつも言い訳するのはビートくんじゃ……」
「は? なにかいいましたか」
「……ううん」

聞こえないふりをして、控室に戻って掃除用具をさっさとロッカーにしまい込む。
代わりにポケモンたちの入ったボールを握る。今度はジムチャレンジ用ではなく、ぼくのベストメンバー。
ちらりと横をみると、フェアリージムリーダーとしては戦いに出さなくなった、けれどずっと一緒にいたダブランが近寄ってくる。
そっと撫でてやるうちに口をついて溢れ出してくるのは、ダブランに向けた言葉ではない。それは空に向けて吐き出される、ぼくの独り言だった。

「……才能に満ち溢れたあなたが嫌いだ」
何度越えようとしてもすぐにそれ以上に成長してしまう、ポケモントレーナーとしての天賦の才能。
自分は決して劣ってはいない、むしろそのへんのトレーナーたちに比べればずいぶん優れているのだと冷静に自分を見極めることができる。それでもなお、実力の差も才能の差も何度も見せつけられて、悔しい思いばかりさせられる。

「優しい人と、仲間に恵まれたあなたが嫌いだ」
自分の家で愛されて育って、隣の家はチャンピオンの実家で、その弟とライバル同士で切磋琢磨する旅をした。
ポケモン博士とも知り合いで、旅の途中で出会ったライバルはジムリーダーの妹。
生まれ持ったつながりも、旅で得たつながりも。ファンだけでなく、ライバルであるトレーナーもジムリーダーもーー最初から彼女は注目の的で、周りには人が絶えなかった。

「ぼくの人生を狂わせたあなたが、嫌いだ」
あなたに出会ってから、なにもかも変わってしまった。

初めて出会ったあの日、まだ自分の実力と才能を信じて疑っていなかったぼくを負かした。
ぼくがジムチャレンジャーとして終わりを迎えた瞬間にも、ポプラさんに出会った時にも、ぼくが無様な姿を晒すタイミングでいつもそこに居合わせた。
負けたら引退と宣言してまで臨んだ戦いで躊躇なくぼくを負かしたくせに、その戦いぶりでぼくをジムリーダーとして世間に認めさせてしまった。
ひとつひとつが、あなたにとっては大したことではなかったかもしれない。
なのにぼくの人生はあのころよりもずいぶんとメチャクチャになって、たくさんのものを失って、代わりにいろいろなものを背負うことになった。

ダブランーーはじめて出会った日のこと、それからローズ委員長のことを少しだけ思い出した。
もう一度だけ撫でてやってから、そっとボールに戻す。
それはぼくが最初に手にした唯一の希望で、もう失ったものだ。
今は、ねがいぼしを集め続けたところでそこにぼくの思い描いていた未来はなかったことも理解している。
それでも、たとえ頭では理解していても、気持ちはいつまでも追いつかないままだ。

だから。
すべてのきっかけになったあなたのことを、ぼくはこれからもずっと嫌いでありつづけるのだろうと思う。

ポケモン以外の大抵のことはなんにもわかってないあなたのことだから、ぼくは何度でも戦うしかない。あなたが目の前に現れるたびに何度でも、何度でも戦って、そのたびにあなたのことが嫌いだと言い続けよう。
このぼくが人生かけてずっと嫌いでいつづけるつもりなんだから、いっそのこと光栄に思うべきだ、って。
悔しいけれど、ムチャクチャかもしれないけれど、いつかあなたにそれが伝わればいいとも思っている。

「さあ、ここはぼくの場所、フェアリージムですよ。エリートでジムリーダーであるぼくに倒される準備はできましたか、チャンピオンさん」

さあ。
今日も本気のバトルをしよう、あなたと。



嫉妬と執着とちょっぴりの憧憬がごちゃごちゃになったもの。