Be quiet!


「せいら、勉強してるの?」

事務所のちいさな机を占領して参考書やらノートやらを開いて唸る僕を見て、大也が声をかけてきた。

「テスト前なんだって」

向かいのソファに腰掛けた慧斗がにこにこしてぼくの代わりに答えた。そこにいられるとぼくのノートが見えている気がして恥ずかしいけれど、ふたりしかいないのにあっちに行ってと言うのも憚られたので、慧斗は結局ずっとぼくのテスト勉強を近くで見守っている。

「焦って勉強しても仕方ないんだけどね。レッスン始まるまでの間だけ……ごめんね」

参考書の、赤シートの挟まったページをじいっと見る。この熟語の意味はなんだっけ、……また忘れた。シートをちらりとずらして答えを確認する。本当なら自主練ができるはずの時間だと思うとつい気が急いてしまう。
ミニライブやイベントのステージで少しずつ場数を踏んできているものの、ぼくたちはまだデビューしたばかりの新人だ。アイドルとしての技量を高めるべき時期に、こうして他のことに時間を取られてしまうのは歯がゆい思いがある。

「気にしなくていいって。わかんないとこあったら俺にも聞いてよ!」
「ありがと。ぼく勉強はあんまり得意じゃないから、こつこつ頑張らないとね」
「せいらって真面目だし、勉強もできそうだけどなー」
「いや、勉強で大也と比べたら、できるものもできるって言えなくなるけど……」

ちょっぴり恨みがましい目で見つめてみたけれど、その視線は大也には伝わらなかったらしい。
それこそ大也はアイドルになる前は勉強をすごく頑張っていたようだけど、ぼくにとっての学業はいつも二の次だった。キッズモデルをやっていた関係で、小学生のころから仕事のために学校を休むこともあったから、ずっとぼくにとっての本分は学業よりも仕事だった。
その選択に決して後悔があるわけではないけれど、いまは少しばかり困りごとになっている。
子供のころは天使だなんだと褒めそやされていてそれだけでも良かったけれど、アイドルになって人前で話すことも意識し始めて気づいた。いくら天使のような外見でも、口を開いたらおバカだったなんてちょっと格好つかないな、って。

「ファンのみんなに常識ないって思われたら嫌だもん。学校の勉強以外でも、なるべくニュース見たり本読んだりするようにしてるよ。なるべく知らない言葉があったら調べたりね」

つい、と指でスマートフォンの画面を叩くと、大也がえらいなあと頭を撫でてくる。ほどほどのところでその手をかわすと、今度はケイトが「ジェネレーションギャップ」とぽつりとつぶやいた。電子辞書ってもう使わないのかな?とかふたりで話している。いや、ぼくも使うけど。

「ギャップ生まれるほど歳は変わらないでしょ。ふたつしか違わないんだから」

ちょっとむきになって反論してしまう。この高校三年生組は油断するとすぐにぼくのことを小さい子扱いしてくる。

「でもさあ、二歳差って結構大きいよね?って俺は思う!」

いつのまにか唯純が事務所に来ていたみたいで、 今までそこにいたみたいな自然さで会話に参加してくる。後ろには一緒に来たのだろうか、瑞稀もいた。おかしそうにくすっと笑って唯純を見る。

「いず、お姉さんたちのこと考えたでしょ?」
「うん。俺、いつも敵わないなって思う。みっくん、なんで俺の考えてることわかったの?」
「僕にもお姉ちゃんがいるからね。歳はひとつしか違わないけれど」

唯純と瑞稀が顔を見合わせて困ったように笑う。その光景はなんだかおかしくて、つい笑ってしまう。それぞれ関係性は違えど、姉には敵わないというところは同じらしい。

「いいなあって顔してる」

大也が慧斗を見て、心を読んだみたいに言う。けれども慧斗は、意外にもちょっと自慢げに笑った。慧斗には珍しい、いわゆるドヤ顔というやつをしている。

「僕は一人っ子だけど、いとこがたまに遊びにくるから」
「ああ、前に聞いたことあるような……小さい女の子だっけ。いま何歳?」
「五歳」
「慧ちゃん、五歳のいとこいるの? かわいい! いいなあ〜!」
「うん。すごくかわいい」

唯純に羨ましがられたのがうれしいのか、慧斗は満足そうに微笑んでいる。

「いいなあ。俺も年下のきょうだいほしかったなー。大ちゃんは弟いるもんね」
「大ちゃんって言うな。いるよ、弟。二歳下だから慧斗のいとこみたいにちっちゃいわけじゃないけど」
「二歳下なんだ。なんとなくだけど、もっと下かと思ってた」

歳までは知らなかった、と瑞稀が言う。

「そうだよ。よく言われるんだよな、それ。なんでだろ」
「弟さんのことも小さい子扱いしてるからじゃないの……」

さっきぼくにしたみたいに、というのを抗議の意味で言外に匂わせるけれど、大也はきょとんとしていて、やっぱり届かなかったみたいだった。まだ見ぬ大也の弟さんに勝手に親近感を抱いてしまう。

「せいらはかわいいからねえ。きっとお兄さんがいたらこうなるよ」

慧斗が微笑みながら言うけれど、たまったものではない。
ぼくも慧斗と同じく一人っ子だけれど、もうここに四人の兄(?)がいることを考えると、どちらかといえば年下のきょうだいがほしい派かもしれない。

「せいら、懸命だね。姉はやめておいたほうがいい。弟か妹がいいと思う」

瑞稀が真剣な目でぼくの肩に手を置いて言い聞かせてくる。完璧すぎるアイドルの中野瑞稀が家では姉からどういう扱いを受けているのか、詳しく聞いてはいけないような気がしてくる。

「ん? あれ、大也の二歳下って、せいらと同い年?」

唯純はいま気づいたようで、びっくりした顔で大也とぼくの顔を見比べている。

「いずみ、いま気づいたの?」
「俺、みんなが年上とか年下とか、あんまり考えてないかも。せいらはしっかりしてるし、俺より年下なのよく忘れるもん」
「もう。だからいずみは『バラペルの末っ子』なんだよ」

唯純の脇腹あたりに小さくパンチをすると、唯純はくすぐったそうにえへへと笑った。
弟もいいかもしれないなと一瞬思ったけれど、きょうだいトークで盛り上がり続ける四人の年上の仲間たちと、机に広がる手つかずのノートや全く読み進められなかった参考書を見比べて、僕に必要なのはきょうだいではなく、一緒に勉強をしてくれる同級生かもしれない、と思った。