ひみつのトワイライト


「ねえアキ、キスをすると幸せになれるって、本当なのかな」
「ハル、試してみればいいんだよ。僕たちふたりで」

今にして思い返せば、ありふれた安っぽいラブソングだった。ありがちな男女の恋を綴り愛を讃えるだけの、つまらない歌詞だったと思う。 それでも子供だった僕たちはふたりぼっちが寂しくて、この気持ちを埋められるなにかを探し求めていた。
そんな時に聴いた、浮き足立ったメロディに乗せてお手軽に語られる甘ったるい幸せの魔法。幼い好奇心が疼いて仕方なかった。
だから、ラブソングに騙されて。
恋を知らない僕たちは、双子同士でキスをした。

立ち並ぶビルのむこう側にあかい夕陽がたゆたう、昼と夜が交なりあう時間。
誰もいない夕暮れ空の下、事務所の目の前にある公園のベンチで。
初めては、僕たちがアイドルとしてデビューしたばかりの、十二歳の時だった。

◆

「は、くっそくだらねー歌」

盛大な溜息と共に、耳からイヤホンを乱雑に引き抜いてハルが悪態をつく。新曲のデモテープを一足先に試聴した片割れの感想がこれでは、少々どころではなく、気が滅入る。

「あんまりそういうこと言わないでよ。僕、まだ聴いてないのに」
「どうせアキも聴いたらそう思うんだから、別にいいだろ。早いか遅いかだけだ」
「モチベーションの問題だよ」

いつも僕たちのそんな発言を窘めているダダチャは収録前の打ち合わせだろうか、先ほど慌ただしそうに楽屋を出ていって、まだ戻ってきていない。扉の貼り紙に『VEPPer様』と書かれている通り、この控え室は僕たち専用だから、率直な発言を取り繕う必要もない。猫も杓子も同じの売れないアイドルとして他の出演者と一緒のタコ部屋に放り込まれることがないのは、売れ出して良かったと感じることのひとつだった。

ハルとふたりだけの空間。つい気が緩んでひとつあくびが出る。
ふう、とひとつ息をついて、ハルによって机の上に放り投げられていた音楽プレーヤーを拾い上げる。そのイヤホンで両耳をふさぐと、世界の音が曖昧になる。くぐもって聞こえる声音。ハルがなにか言ったような気がしたけれど、よく聞こえなかった。
とはいえ。たとえ聞こえなくたって、僕たちは。
言いたいことはわかってる、のだ。

ハル。
僕の双子の弟。
僕と同じ綺麗な顔の、僕よりも少しだけ太めの眉。その間に皺を寄せたその表情からして、おおかた新曲への愚痴の続きだろう。そう察しをつけて、特に聞き返すでもなくそのままプレーヤーの再生ボタンを押す。
ハルがけちょんけちょんに言っていた割に、流れ出すイントロは存外綺麗な始まりだった。

来月発表になるはずの僕たちのニューシングル、そのメロディが耳元で鳴っている。知らない誰かが吹き込んだ仮歌が紡ぐ歌詞は、いつものように、アイドルからファンへ向けた心躍る恋の歌。なるほど、この先とうぶんの間、僕たちはまた有象無象のファンたちへ向けて秘密の恋を歌い愛を囁く理想のアイドルを演じなければならないようだ。
嘘と欺瞞。
僕たちのことを好きになるように、甘い言葉で誑かして、心にもない愛嬌を振りまく。ぎらぎらと眩しく照らしつける舞台の上で、僕たちは歌の中の主人公になりきって、いじらしく、せつなそうに、この歌をうたうのだ。その恋煩いが一体どんなものであるかも知らないくせに。
薄っぺらな愛の言葉に人は簡単に騙される。ああ、なんてお手軽な愛。

適当に会話を終わらせて曲を聴き始めた僕を、ハルは気に留める様子もない。いつものことだ。
言葉にしなくても通じるものがあるせいか、僕たち双子同士の会話はあまり丁寧ではないらしい。僕たちふたりの間ではわかりあっているのに、『どういうことだっちゃ?』とか、ダダチャにはよく聞かれる。不便なものだと思う。ハルが考えていること、ハルの気持ち、なにも言わなくても僕にはわかるのに。
とはいえ、今のハルは誰が見てもわかりそうなほどの不機嫌を隠しもしない雑な手つきで、紅茶に角砂糖を放り込んでいた。机の上のハルの分と僕の分、楽屋を空ける前にダダチャが淹れてくれたいつものダージリン。立方体がふたつ、とぷりとちいさな音を立てて飲み込まれていく。白いティーカップの中には透き通った綺麗なあかい色の波紋がゆらゆら、揺れている。
イヤホンを外す。いろいろと思考を巡らせているうちにいつのまにか曲は終わっていた。わかってはいたけれど、聴き終えた感想は大概ハルと変わりないものだった。

「恋だの愛だの、みんな揃いも揃って似たようなことばかり歌って、お気楽だよね」
「俺はもっとかっこいい歌がいいと思うけどな。どいつもこいつもセンスが無え。この前の曲はまあまあ良かったのに、使えねえな。もっとないのかよ、ディスティニーとか、ファンタジーとか歌詞に入ってるような、イケてるやつ」
「ああ、そういう曲の方がスタイリッシュな僕たちには似合うと思うんだけど」
「だよな。なのにまたラブソングってなあ……。あーあ、またレッスンでもっと気持ちを込めて、とか言われるかな、最悪だ」

ハルの言葉で、嫌な記憶が蘇って気が重くなる。
以前にもラブソングを歌ったとき、レッスンを担当したトレーナーから気持ちが込もってないだのなんだのと長々と指導され続けたことがあった。忘れもしない、屈辱的な記憶だ。僕たちは元々音感にも運動神経にも恵まれている。アイドルとして売れるため下積み時代から必死の練習を重ねた成果が出て、今ではアイドルに求められる歌もダンスもひととおりそつなくこなせる。実際に僕たちはいま、アイドルとして芽が出始めている。だからあの時だって十分に上手く歌えていたはずで、だからあのときのトレーナーは僕たちのなにが不満だったのか、思い返してみても皆目見当がつかなかった。
たくさんの愛の言葉で、完璧なステップで、理想のステージを作り上げる。そうしてファンに甘い夢を見せる。
たとえすべてが嘘だとして、そんなことに誰が気づくだろうか。それで確かにファンは喜ぶのだ。
いまいましいといった表情でハルが溜息をつく。

「俺たちのことなんてなにも知らないくせに。実際ファンが望んでいるのは、こういうことだろ」
「ああ。誰にも僕たちのことがわかるものか、素直にやるだけ馬鹿馬鹿しい」
「は、どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ……」
「……ハル?」

すこし離れて座っていたハルが隣に来て、指を絡めてくる。よく知っている、不安になったときの癖。
触れ合うハルの体温は少し僕よりも温かい。僕はいつも、このぬくもりに安堵する。

「アキ」
「ん、ハル、」

縋るような腕に任せて、そのまま抱き寄せられる。吐息が感じられるほどの距離で、ハルのあかい瞳を覗き込んだ。
ゆらゆらと揺れる。ハル。ハル。大丈夫。僕がいるから、僕たちは双子だから。不安なら僕に全部くれればいい。いつもハルが僕にそうしてくれるみたいに。

「大丈夫だよ、ハル。僕たちだけがわかっていればそれでいいんだ。僕たちのことは」

言い聞かせながら、揺れる瞳がこぼれないようにハルの頬に手を伸ばす。アイスブルーの綺麗な髪が一束、耳元から落ちてくる。そっとすくいあげてハルの髪を指で梳くと、くすぐったそうに表情を和らげた。
ハルは視線を反らして、ちらりと扉の向こうの様子を伺う。つられて僕も少しだけ外へ意識を向ける。人の気配はしない。ダダチャはまだ戻ってこないようだった。
うん、その視線の意味も、欲しいものも、わかってる。

「アキ……」

ダダチャには秘密にしていた。
本当はバレているのかもしれないけれど、それでも構わなかった。

「ほら、ハル、こっち向いて」
「ん……」

そっとハルに口付ける。触れるだけのキス。
こんな恋人のまねごと、あるいは行きすぎた家族愛、だけれども僕たちはこうすることで安心できてしまって、そしてどうしようもなく満たされるのだ。異常だとか歪んでいるとかそんなことはどうでもいい。これは僕たち自身が互いにこうすることを望んだ結果で。だから誰にも文句を言われる筋合いなんてない。僕たちのことを理解することもできない他人に、僕たちのあり方に口を出す権利なんかあるはずがないのだから。僕たちのことは、僕たちだけが決める。
僕たちが欲しかった、求めてやまなかった愛は、僕たち自身で埋める。
もう一度キスが降ってくる。
ああ。
思いが重なる。

「「愛なんて、くだらない」」

僕は自嘲するように笑う。ハルの寂しそうな瞳がもういちど揺れる。
僕たち双子は写し鏡。僕もきっと、ハルと同じ顔をしているのだろう。

ふたり抱き合いながらソファに倒れ込んだ拍子に、側のローテーブルががたりと音を立てる。
視界の遠いところで紅茶のあかい水面がゆらゆら、揺れていた。


◆


強羅さんに思い出してもらえて、また見つけてもらえて。
そこで僕らの願いは果たされた。
運命の戦いの日、あの瞬間のために僕たちは何年も必死で生きてきた。そして強羅さんの一言に、アイドルとして努力してきたこれまでのすべて、僕たちの人生のすべては肯定された。『わんぱくでも良い、たくましく育て』と、あの日の彼が期待したとおりの僕たちになれたことを。

一緒に芸能活動をしたり、兄になってもらって共に暮らすことは叶わなかったけれど、今はそれで良かった。あの日の『約束』を覚えていてくれて、今の僕たちを褒めてもらえたこと、その事実に僕らはようやく報われた。
強羅さんの確かな愛、すべての人に向けられる深い愛。その愛に僕たちも包まれていることを知ることができた。
だから、思い描いていた形とは少し違うけれど、僕たちはいま幸せの真っ只中にいる。

「で、これから、どうしようか」

ハルとふたり、黒玉湯の大浴場で熱い湯に浸かりながら考える。防衛部のやつらはまだ来ていないようだったから、外から響いてくる強羅さんの薪割りの音をふたりじめで堪能しているところだ。パカーン、と気持ち良い音が聴こえてくるたび、ハルと顔を見合わせて恍惚とする。
そんな穏やかで心がほっとあたたかくなるひととき。

こうしてただ強羅さんの近くにいられることが、ずっとあの日からの夢だった。
眉難ランドでヒーロー・ゴウラーに助けてもらって、そして『滅かな』が打ち切りになってからずっと。
強羅さんにもう一度会うため、僕たちを見つけてもらうために必死でやってきたアイドル活動。強羅さんの暮らす地球に戻るための眉難高校への交換留学。強羅さんに愛されるユモトを排除するための怪人作り、のためのVEPPシアターでの公演。
すべて強羅さんのためにしてきたことだった。強羅さんにもう一度会って、お礼を言って、強羅さんの愛を僕たちのものにして、それから、家族みたいに強羅さんと過ごしたいと願った幼かった僕たちの時間を取り戻すために。

だけれども、もう必要ない。強羅さんは僕たちをもう一度見つけてくれた。たくましく育ったと、褒めて、認めてくれた。そしていつでもこの黒玉湯に訪れるすべての人々を愛してくれている。
目障りだった箱根有基と完全に打ち解けたわけではない。ただ、素直に先輩と慕ってくる姿には、わずかだが、そう、ほんの少しだけ心動かされるものがある。愛を説いてきたあの真剣な表情にも。
『アイドルの愛はLOVEの愛』。
アイドルとは、そこにいるだけで幸せになる存在。――僕たちにとっての強羅さん。
ユモトは僕たちにそう言った。

「うーん。愛ってなんだろう」
「アイドルの愛」
「僕たちにとっての愛」
「愛って、なんだろう」

愛。あい。アイ。
VEPPerはアイドルで、愛を受けとり、愛を与える存在だ。
その一方で、僕たちがずっとやってきたアイドル活動には愛なんてなくて、作り上げた理想のアイドルという嘘でファンを誑かしてきただけだった。

嘘と欺瞞だけがアイドルだった。愛なんて知らなかったし、知る必要もないと思っていた。僕たち双子にとっては、互いが互いを慈しむその同じ温度のぬくもりだけが救いだった。
愛なきアイドル活動は、辛く苦しい時間だった。それでもステージを降りることはできなかった。
僕たちには憧れがあったから。
遥か遠くの空、まばゆく輝く一等星が。
たったひとすじ、僕たちの孤独な舞台を照らす希望の光は、憧れへの道しるべだった。
でも、その光はいま、目の前にある。僕たちでふたりじめすることはできないけれど、手を伸ばせばすぐ届くところに。

「僕たち、もうアイドルする理由がなくなっちゃったんだ」
「俺たち、これからどうしよう」

この春休みが明けたら僕たちは美男高校の3年生になる。期間限定の交換留学と言いつつ宇宙に戻るつもりもなければ、強羅さんの側で暮らせるこの眉難の地を離れる理由があるはずもない。
このままあと一年、黒玉湯に通いながらのんびり高校生活を送るのも悪くないと思えた。僕たち普通の男の子に戻ります、なんてベタすぎるかもしれないけれど。まずは当面、この一年の身の振り方が決まれば、その後の進路はこれからゆっくり考えても遅くないはずだ。できればこのまま強羅さんの側で、お隣さんとしてずっと過ごしていたい、なんて。
あのころ思い描いていた夢のような毎日がここにある。もう届かない強羅さんの背中を追い求めて、アイドルとして芸能界で辛い日々を耐える必要もない。
ああ、なんという幸運、なんという幸福。
幸せのあまり頭がぼーっとしてくる。
高揚感。ぽかぽかとしていて、体中が、あたたかくて、

「あ、アキ、やばい」
「え、」
「のぼせた……」

はっとして隣を見ると、真っ赤な顔のハルが目を回していた。
瞬間、自分の視界までぐるぐると回り出す。
助けてくれる人が誰もいない湯船でこれはまずい、まずすぎる、最悪死ぬ!

「アキ、なんか俺、おかしくなりそうっ…」
「ちょ、ハルっ、出るよ」
「ううっ、アキ、俺もうだめ……」
「ハル、だめだ、ハルっ」

自分の足元もふらついてるのを感じながら、いまにも倒れそうなハルの手を全力で引いて湯船を出る。掛け湯すらままならずに這々の体で飛び出して、ぐったりとしたハルを脱衣所のベンチに横たえた。
ハルの手を握って、自分もすぐ横に腰掛ける。

「はあ……」

――こんな情けない姿、防衛部のやつらにも、他の誰にも見られなくてよかった。
それだけ思いながら僕も目を閉じて、静かに扇風機の風を浴びた。




「……あ、アキ」
「起きたの、ハル。気分は悪くない?」
「うん。ありがとう」

ゆっくりと起き上がると立ちくらみを起こすこともなく、顔色も悪くない。
身支度を整え終わった僕を見て、自分だけ裸なのが気恥ずかしかったのか、そそくさと脱衣カゴをひっつかんで服を着るハルを眺めてくすりと笑いながら、自販機に小銭を放り込む。買うのはもちろん、強羅さんがくれた思い出のフルーツ牛乳。

「ひゃっ」

ハルの背後から近づいて、冷えた牛乳瓶を頰に押し当てる。
不意を突かれてあられもない声をあげるハルがおかしくて、ついつい笑ってしまう。

「アキ!」
「ふふ、ごめんごめん。はい、これ。飲んで落ち着いてから帰ろう」
「やっぱりアキは意地悪だ」
「ごめんってば、ふふっ」
「笑うな! くそ、のぼせて倒れてこれじゃ俺、みっともなさすぎ」
「ううん、僕も危なかったよ。ハルが教えてくれなきゃ僕も倒れてた。だからお礼。ありがとね、ハル」
「……なら、いいけど」

拗ねた顔をしながらもようやくフルーツ牛乳を受け取ってくれたのを確認して、瓶のふたを開ける。あまり得意ではない人工的な甘みが、今は身体に染み渡る。
平和で、穏やかで、心の赴くままに笑っていられる。ハルとふたりで、強羅さんの側で。
ぼんやりとしていた思考が、少しずつクリアになっていく。

このままずっとこの日々を過ごしたいと思った。



ハルが身支度を整えるのを待ってから、帰り際。
出口を開けたところで強羅さんと鉢合わせた。鼓動が高鳴る。
強羅さんの背後、強く吹いた風に桜の花が宙を舞って、とても、きれいだった。

「あ、」「す、すみません」
「いえ、こちらこそ……ああ、二人とも来てくれたのか。いつもありがとう」
「そんな! こちらこそ、いつもお世話になっています、ありがとうございます、強羅さん……!」

ああ、憧れの強羅さんが目の前に!
いくら近くにいても何度言葉を交わしてもまだまだ慣れる気配は欠片もない。さっき落ち着かせたはずの鼓動がまた速くなるのを感じた。
うまく話せているだろうか、失礼はないだろうか?気持ちが逸る。

「春休みになってから毎日のように来てくれているが……。少しでも日々の癒しになっていれば嬉しい」
「ご、強羅さんに喜んでいただけるなんて光栄です!」
「癒し、なってます! 毎日とっても力になります! 元気が出ます!」

今日も強羅さんは素敵だ。
斧を抱えている、薪割りを終えたところだろうか。
なんて勇ましい、ヒーローを引退してもなお衰えないその格好良さに惚れ惚れとする。

「そういえば最近はお向かいでのライブはやっていないようだが、春休み中は休みなのか」
「あ、そうですね、しばらくはいいかなって」
「ていうか俺たち、強羅さんがいればアイドルはもう」
「宇宙でずっとアイドルとして頑張ってきたんだろう、大変だっただろう。本当に偉いな」
「ああっ、ありがとうございます! 俺たち、これからもアイドルとして頑張ります」
「僕たちもっともっと頑張るので、強羅さんに見てもらえたらとても嬉しいです!」

強羅さんに喜んでもらいたい、もう十年ほども変わることなく抱いていた気持ちが脊髄反射で返事をする。
アイドルをやる理由がないなんてとんでもない、気持ちが舞い上がって朦朧としているうちに、口が、勝手にそう動いたのだ。

「そうか、うむ、ありがとう。これからも楽しみにしている」

ぽん、と両手を僕とハルの頭にそれぞれ置いて、やさしく微笑む。初めて会ったときと同じあたたかくて大きな手。
ショービジネスの辛さがなんだ。
こんなふうに憧れの人から期待されて、言葉をかけられて、それを断れるやつなどいるものか。

「「はいっ」」

そういうわけで、アイドルを辞めるつもりだったはずの僕たちは、強羅さんの一言であっさりとアイドル活動を続けることを決めてしまったのだった。


◆


ダダチャ。
おせっかいで世話焼きで、いつからか本当の親よりも僕たちの面倒をよく見てくれていて、だけれども僕たちの知らないところで小賢しくなにかを企んでいるのか、時折、隠し事の影がちらついていたようにも思えた。
最後まで秘密の多かったあのモモンガ型宇宙人は、僕たちのことを存外大切にしてくれていたのかもしれないと、今になって思う。
『別府兄弟は最高の双子だっちゃ』
なんて、当たり前のように僕たちがふたりでひとつであることを受け入れて、認めてくれていたのだと、今更知ることになるなんて思いもしなかった。

「ハル、明日の予定は?」
「テレビの撮影が丸一日。ロケが田舎の方だから、朝から移動だ」
「あー。わかってたけど、また別々か」
「アキは?」
「昼からまた舞台の稽古。明日はそのあと取材があるみたい」
「ふうん……。いつからだっけ、本番」
「来月。で、千秋楽はそのまた来月」
「長いな……気が遠くなりそうだ。せっかくなら、一回くらい見に行けたらいいんだけどなあ」
「嬉しいけど、どうかな。ハルも忙しいみたいだし」
「くそ、乗馬がこんなにウケるとは、思わなかった……」

それが明日のロケ地なのだろうか、馬の写真が大きく載せられたパンフレットを握りしめてハルが嘆く。

アイドル活動を再開すると決めてから、ダダチャが残してくれた伝手を頼りに僕たちは地球の芸能事務所に所属した。担当についてくれたのは宇宙テレビや宇宙人のことなんてなにも知らなさそうな、ごく普通のマネージャー。
僕たちがギャラクシーアイドルだというのはうまいことぼかして説明していたから、最初は僕たちの出自や経歴について若干訝しんでいる様子だったけれど、仕事に関してはそれなりにデキるらしく、僕たちの元にはこれまでの比ではないほどたくさんの仕事が入ってくるようになった。

仕事をこなすうち徐々に人気が出始めた僕たちは、スケジュールが詰まるにつれ高校生の身ながら仕事優先で動かざるを得なくなり、そして、僕たちふたりは別々の仕事を任されることが多くなった。
ハルは乗馬ができるところをきっかけに動物関連のテレビ番組で出演が増え、最近ではバラエティ番組でもその容姿に似合わぬ毒舌と、率直な物言いが気に入られているようだった。
僕はといえば演技の方面で認められ、ドラマや舞台で役を貰えるようになった。
稽古や撮影、公演が長期に渡るので、テレビで幅広く露出があるハルとは毛色が違う。
モデル、役者、バラエティ。アイドルならなんでもござれ。そう教えられてはきたものの、売れたての僕たちに降ってくる仕事は本当に多種多様だった。

その中で唯一、ふたり一緒にできる仕事がアイドルのVEPPerとしての活動なのだけれど、事務所としては多彩な才能を持っている僕たちのことを将来を見据えたマルチなタレントとして売り出したいようで、アイドル活動は気づけばご無沙汰。次々と怪人を生み出し、そして防衛部と戦ったあのころを最後に、いまだシアターでの公演が再開されることはなく、むしろ僕たちはそれぞれの仕事のために自宅を空けがちだった。

「これはこれで芸能界では長生きできるのかもしれないけど」
「もしかしてダダチャ、結構仕事選んでたのか」
「たぶんね。全然気づかなかったよ」

幼かった僕たちは今とは比べ物にならないくらいずっと互いに依存していて、今みたいに別々の仕事があったとしても、きっと、できなかっただろうから。だからダダチャはきっと「ふたりで一緒にできる仕事」だけを受けていたのだと思う。そしてそれを続けた。僕たちが成長して十七歳になるに至るまで、ずっと。

「気付かなかった俺たちがお子ちゃまだったってことかよ」
「本当にね。まったく、ダダチャってなんでいちいち癇に障ることばかりするんだろう」

当然ながらこれは八つ当たりだ。腹が立つのは本当だけれどもそれ以上に、ダダチャが僕たちの気持ちに寄り添い、僕たちのことを考えながらアイドルとして売ってくれていたのだと今更ながらに気付いた自分自身への苛立ちだった。
あるいはダダチャのおせっかい極まりない仕事っぷりに対する子供っぽい反抗か。
どちらにしても気持ちが荒れただけ自分の幼稚さを突きつけられる。

「おせっかいなやつ」

ハルが呆れたように言い捨てる。
双子だからふたりでの仕事ばかりなのだと勝手に思っていたが、そんなのは僕たちが勝手に作り上げた理想に過ぎなかったようだ。ダダチャは僕たちふたりがふたり一緒にいることを大事にしてくれていた。僕たちがそう望んでいることを汲み取って、僕たちがよりよい形で仕事ができるように取り計らってくれていた。
あいつは僕たちのことを、思っていた以上に、本当に大切にしてくれていたのだと、こんなに今更。

「ああ、クソッ。――明日早いし、俺は寝る」
「おやすみ、僕も身支度が整ったら行くから。起こしたらごめんね」
「アキは寝言のほうがうるさいし、そのくらいじゃ起きないって。じゃ」
「ちょっと、あのね、ハル……」

むっとして言い返そうとすると、逃げろとばかりの早足で、ひらひらと背中越しに手を振ってハルが寝室へ消えていく。からかうような笑い声とともに閉まる扉を見送るのが、無性に寂しいと思った。

同じベッドで眠るはずのハルと、寝る時間さえ合わなくなっていた。


◇


ふと目が覚めた。
窓から差し込む月の光が、あどけない寝顔と見慣れた銀糸の髪をあおく照らしている。

(アキ、来たのか)

案の定、アキが布団に入ってきても俺の目は覚めなかった。
別々のタイミングで布団に入るようになって数ヶ月、いつものことだ。俺がどんなにそうっと布団をめくっても気づくくせに、自分が後からベッドに来るときは、こうして気づけばいつの間にか布団にいる。

(アキ)

アキはよく寝言をいう割に、深く眠っている時の寝息は穏やかだ。俺と違って寝返りもあまりうたないらしい。こうして眺めていると、あまりに静かで不安になる。
そっと手を伸ばしてなめらかな頬に触れる。俺より少しだけひくい体温。
ふるりと長いまつげが揺れた。

(うん。いきてる)

寝顔があまりにきれいで、静謐で、死んでいるかもしれないなんて物騒な妄想にとらわれてつい鼓動や体温を確認してしまう。アキには秘密だ。だけど、たまに不安になる。
こんなに近く、すぐそばにいるのに、それでも確かめずにはいられなくなる。
そっと触れて感じて、そうしてようやく安心する。
アキにばれたらばかにされそうだから、もっと秘密だけれど。

「おやすみ、アキ」

触れていた頬から手をはなして、白い肌にひとつキスを落とす。顔の横、無造作に放られたアキの手を取って、指を絡めて、そしてようやく目を閉じられる。
絡めた指の先から伝わるぬるい体温が、目を閉じてもアキが隣にいることを教えてくれる。
起こさないようにほんのすこしだけ、そっとその手を握った。
寝ている間もはぐれないように。
――寝相の悪い俺が寝返りをうっても、離れなければいいな、と思った。


◇


街はイルミネーションで彩られ、日を追うごとに冷え込む気温に逆らうかのように日々賑やかさを増している。
――もうすぐ、俺たちが地球に帰ってきてから二度目のクリスマス。

あの憧れの強羅さんから、人生で初めての『クリパ』に招待してもらった去年のことを思い出す。
幼い頃から夢に思い描いていた家族団欒のような穏やかな時間、強羅さんと言葉を交わせる喜び。自分たちで作り出した怪人にその貴重なひとときを邪魔されたことや、あの頃は憎くて仕方がなかった防衛部の面々との馴れ合いさえも今となっては懐かしい。
今年も、クリスマスパーティーの招待が来ている。
どんな予定を差し置いても行くつもりだった。当然。だって、あの憧れの強羅さんが今年も俺たちとクリスマスを祝おうと言ってくれている。まるで家族みたいに!幸せすぎてどうしよう、なんて贅沢な悩みすら生まれてくる。自分でもわかるくらい浮き足立っている気持ちが押さえられなくて、鼻歌まで歌ってしまう。

今日は売り出し中のアイドルとしては数少ないオフの日、こうしてゆっくりと自宅で過ごすのも久しぶりだった。今日はアキも早い時間に帰ってくるらしい。
せっかくだから食事のひとつでも用意してみようか、それともここは家の掃除を済ませて出迎えるべきか、ぼんやりと一日の予定を考えながら郵便のチェックを済ませる。
見慣れない荷物がひとつ。荷札に書かれた宇宙文字。
差出人は、ダダチャ。
あいつが兄と呼んだハリネズミと一緒に宇宙に戻って以来、時折こうして連絡が来たりちょっとした荷物が届いたり、少々のやりとりは続いているものの、かつて食事からなにから生活のありとあらゆるすべてを世話されていた頃とは比較にならないほど遠い存在になってしまった。
アンドロメダと地球の距離は遥か遠い。そんなこと、誰よりもよく知っている。

アキの帰りを待つかどうか少し迷って、先に開けてしまうことにした。
いつも通りなら、手紙といくらかの生活用品や菓子あたりが入っているはずだ。お前は田舎の祖父母かなにかか、と、思わなくもないが。アンドロメダで暮らしていたころに多種多様な宇宙人を見たけれど、大抵の宇宙人から見れば地球人の寿命なんて取るに足らないほどちっぽけで、だからあのモモンガ型の小さな宇宙人もその体に似合わないほどの年月を生きているはずで。だから祖父母という表現も大きく外れているわけではないのかもしれない。

開封した小包はいつもの中身に加えて、見慣れない封がひとつ。
さらに開ける。中にはCDが一枚。まっさらでタイトルなどは見当たらない。

「変な音源じゃないだろうな……」

いや、びびってなんていない。決してそんなことはないが。
やっぱりアキの帰りを待ってからにしようかと迷ったけれど、ダダチャが怪しいものを送ってくるはずはないだろうと信じる気持ちと、謎のCDに対する単純な興味関心が勝った。
どうにかこうにか音楽プレーヤーにまで取り込んで、少しの緊張と共に、意を決してイヤホンを差し込む。
再生。
流れてきたメロディーには聞き覚えがあった。
いつか俺たちの新曲だと手渡された、だけれども気に入らなくて突っ返したあの時のデモテープ。
かつてくだらないと一蹴した、ありふれた安っぽいラブソングだと思った曲だった。
思わず見返したダダチャの手紙、その末尾には『ハルちゃん、アキちゃんへ贈り物だっちゃ』と、メッセージが添えられていた。

「ったく、ほんと、とんだおせっかいだって……」



アキと顔を合わせてゆっくり話すのは久しぶりのことだった。
多忙を極める俺たちが一緒にいるのは、今や寝ている間くらいだった。
時折目が覚めたら隣にいたり、あるいは床に就くころに隣で眠っていたり。そのくらいのものだ。

「アキ。あのさ、話があるんだけど」
「改まって珍しいね。どうしたの」

丁寧に淹れたダージリンを二杯、リビングに運ぶ。アキの分と俺の分。茶葉がふわりと香る。

「またライブがやりたいんだ、だから、やろうと思って」
「へえ。アイドルやること、マネージャーが許してくれたの? いつ?」
「勝手にやる。クリスマスの夜。強羅さんのクリパ行きたかったけど、今回は断って」
「……ちょっと、どうして」
「どうしても、やりたいから」

ああ。アキ、わからない、って顔してる。当然だ。

「なんで、ハル! 強羅さんがせっかく誘ってくれたのに断るって、どういうこと!? あんなに楽しみにしていたのに、僕だって!」
「アキ、聞いて」
「ハル、どうして、なんで、僕わからないよ、ハル!」
「アキ……」
「ねえハル、いま僕、ハルが考えてることわからないんだ……。わからないよ、ハル、僕たち双子なのに。僕たちは完璧な双子で、なにを思ってるかなんて言わなくたってわかって、ぜんぶ同じだったのに、なのにどうしてっ」

乱暴にシャツの襟元に掴みかかってくる。いつものアキらしくない、取り乱した顔。
見開いたその瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれていた。

ああ――泣かせるつもりなんてなかった。ごめん、アキ。
でもわからなくて当たり前なんだ。
今の俺たちは全然まったく、ふたりでひとつの双子じゃあない。バラバラの時間を過ごして、それぞれの仕事をして、そうするうちにいつのまにか俺たちは『二人』になっていた。違うものを見て違うことをして、いくら双子だって、それで同じになれるはずなんてなかったんだ。
ずっと俺たちはふたりでひとつで、それ以上にひとつになりたくて、俺とアキのふたりで全部ぜんぶ、焦りも不安も補いたくて、愛も欲望も足りないものは埋めたくて。
ずっとそうしてきたのに。

「ハル。僕たちずっと同じだったのに、違うとこなんてなかったのに、どうしたの……。なんでなの、ねえ」
「アキ、」
「なんでなの、ハル、どうして!?」

シャツを掴んでいた手を後頭部に回してきたアキにぐいと引き寄せられ、半ば強引に口づけられる。無理やり割り入ってくる優しさのない舌が口内を蹂躙する。すべて食べ尽くそうとするみたいに、強く求められて、その勢いのままに押し倒される。
足元のローテーブルが激しく傾く。
ティーカップがひっくり返って、視界の端でカーペットを汚していた。
容赦なく押し付けられる唇。やまない激しさに息が詰まる。
苦しくて身をよじって、でも涙でぼろぼろになった顔のアキを見たら強く言う気なんてこれっぽっちも起きなかった。これ以上アキを傷つけたりしたくないから、拒絶しないように、ただその息苦しさを受け入れた。
呼吸が止まりそうになる。
絞り出した喉の奥では唸るような声しか出なかったけど、それでももう一度アキに訴える。頭を押さえこんでいた手のひらが、ようやく俺を解放してくれた。ぷは、と勢いよく空気を吸い込む肺、その本能に体が追いつかなくて咳き込む。
アキを見た。目が合う。
困惑の色に染まる瞳。

「ハル、どうして、教えてよ……ハル」

ああ、そうだ、このままじゃいけない。
俺たち離ればなれじゃダメなんだ、アキ。

「アキ、これ聴いて、そうしたらわかるから」

聴いたらわかる、理屈も根拠もないけれどそれは確信だった。
俺たち双子は行く道が違っていたって、同じ方向をむいて同じものを見ていれば、きっと辿り着く場所は同じだから。
今の俺たちだってきっとそうだって、信じてる。
アキの片耳にイヤホンを突っ込んで、有無を言わせる前に再生を始める。

流れ始めた旋律に、マゼンタの瞳が揺れた。


◆


「強羅さん、せっかく招待していただいたのにすみません。今年は行けないんです」
「そうか……残念だが、仕方ないな」

強羅さんの寂しそうな顔に、自分たちで決めたこととはいえ胸が痛む。
それでも、僕たちは。すっと息を吸って、ぎゅっと繋いだ手を握りしめて。
これは僕たちの決意表明だ。

「あの、それだけじゃなくて」
「ん、どうした」
「強羅さんに、来てもらいたいんです。僕たちのクリスマスパーティへ」
「十二月の、二十四日の夜。俺たちふたりでライブをするんです」
「クリスマスに無理言ってごめんなさい。でも、お願いします。僕たちのこと、見ててください、強羅さん」
「あと……ユモト、お前もだ。それから、ついでにお前らも呼んでやる」

防衛部の奴らがそこで見ているのは知っていた。物陰からようすを伺うように飛び出しているふわふわ猫っ毛の頭、それから金と女がすべての同級生ふたり。ハルが呼びかけると、幼い瞳が嬉しそうに顔を覗かせる。

「ブラザース先輩たち! ライブ、やるんすね!」
「当然」
「だって俺たち、アイドルだし」

防衛部と強羅さんをかけたアイドル対決をして以来、僕たちはずっとライブをしていなかった。
僕たちのライブは怪人を生み出すためのものだった。僕たちへの憧れにつけこんで、騙して誑かして唆すためのものだった。
強羅さんやユモトだけに見てもらうだけじゃダメなんだ。
僕たちを応援して、心から愛してくれるファンがいるからこそ、僕たちはアイドルでいられるってこと。そんな当たり前のこと、今頃わかるなんて遅すぎるかもしれないけれど、取り戻したい。
もう一度だけチャンスが欲しい。
これまで愛を与えてくれたみんなの想いに応えて、そして、アイドルとしてたくさんの人を幸せにするために。

「おれ、アイドルの先輩たち見れるの、とーっても楽しみっす!」

ぱっと明るく、花が咲いたみたいに、ユモトが笑う。
僕たちが漠然と追い求めていたもの、それはアイドルの愛なのかもしれない、と。今は素直にそう思えた。


◆


それからクリスマスまでの毎日は怒涛の日々だった。
僕たちがようやくライブを思い立った頃にはもうクリスマス直前もいいところで、どんなに小規模でも良い、人手と時間が足りないぶんは僕たち自身でやるからとマネージャーに無理なお願いをして了承を取り付けて、他の仕事との調整をつけてもらい、あとはわずかな隙間時間を見つけてはふたりでダンスと歌の復習。
ブランクが空いたおかげで、持ち歌のパフォーマンスや歌詞を思い出すだけでも大変だった。
今日もレッスン室には聞きなれた曲が流れている。ここでターン、ここで二歩下がる。体に染み込んだ記憶をたぐりよせて、振り付けの確認をする。
ふたり揃いの線対称のダンス。向き合った鏡の向こうにはレッスン着の僕、それから、隣にはハルがいる。

ただでさえ多忙だったこれまで以上に忙しい毎日で、でも、ふたりで一緒にいられる時間は増えた。
僕たちはふたりとも暇さえあればライブのことを考えていて、気になる箇所があれば何度でも練習を重ねた。足並みを揃えて、歌声を重ねて、少しでもふたりの心が通い合うように。

共に過ごす時間を取れるようになって、以前のように、ハルが考えていることが少しずつ僕の中に流れ込んでくるような気がした。他愛のない会話、なにげないしぐさのひとつひとつにハルの気持ちが、心が現れている。半身を取り戻す感覚。互いに欠けていたものが、離れていた心の距離が徐々に近づいていく。
僕たちが心を通わせるためにはふたり一緒にいる時間が必要なのだと、あの日のハルに教えられたことを、いま、実感をもって理解している。

「ここのステップはちょっと大きめで」
「あ、」

振りを間違えた。ステップで踏み込んできたハルと肩がぶつかる。
考え事をしていたせいだ。尻もちをついたハルに謝りながら手を差し伸べる。

「ごめん、大丈夫?」
「へーき」
「ううん、まだまだだなあ」
「でも、楽しいな、こういうのも」

僕の手を取って、ハルが僕に笑いかける。うん、とひとつ返事をする
嬉しくなった。
だって僕いま、同じこと考えてたよ。

◆

ざわめく観客席。これから始まる僕たちのステージが待ち遠しいとばかりに、いくらひそめても興奮を隠しきれない声。
舞台袖からそっと覗いたシアターは満席御礼だ。
久しぶりのライブをやると聞きつけたファンのエイプスたちが、シアターの座席を埋め尽くすほどに集まってくれている。

やると決めてから今日まで短い期間、十分な準備ができたとは決して言えないけれど、満を持して開催するクリスマスライブだ。みっともない姿を見せるわけにはいかない。なんといっても強羅さん、とあとユモトと防衛部たちが見に来ているのだ。どこまでも格好良くありたい。たとえどんなに練習不足だって、この先ではもう関係ないことだ。不安や焦りはこのステージには一切持ち込まない。
アイドルはファンに夢を見せるものだ。
いろいろなことがあったけれど、いまだにその思いは変わっていない。
この舞台の上に立ったその瞬間から、僕たちは完璧なアイドルでなければいけない。それは僕たちがアイドルとしてやってきたこれまで、曲げることなく貫いてきた矜持だ。
アイドルはファンに夢を見せるもの。
でもその意味が、今は違う。

観客席の照明が落ちる。流れ始めた心地良いリズムのイントロ、僕たちの名前を呼ぶ歓喜の声。
そして舞台の幕が開く。

「アイドルとは?」
いつかの問いにいま、答えを出そう。

――アイドルは、ファンを幸せにする存在だ、と。
僕たちはいま、ステージの上で高らかに宣言する。

高いスポットライトに照らされ、僕たちはステージに躍り出る。瞬間、わあっと大きな歓声が上がった。
見渡す景色はステージを照らし出す無数の光。観客席に広がる、まるで星のような淡い光たち。
懐かしい感覚。ハルとふたりステージで向かい合う。練習したステップを確かに体が覚えている。響く旋律が次の歌詞を教えてくれる。取り繕う必要なんてない、なにも不安に思うことなんてない。ただ思うまま、心の赴くままでいい。一番奥まで届くように、全身で声を響かせる。待ち望んできた眩しい舞台の中央で、力強く一歩を踏みしめる。
きらきら、かがやいていた。

ダンスの中でふたたびハルと向かい合う。視線が交わる。知ってるよ、楽しくて仕方がないって顔してる。
ハルにだけわかるようにウインクしてやったら、ちょっと呆れたみたいに笑った。なにしてんだよ、って、言葉にしなくても聞こえてきた。ああ、たのしい、ずうっとやってきたはずなのに初めて知った、歌い踊ることがこんなに楽しい!

みんなの声が聞こえる。大きな歓声が、僕たちを呼ぶ声が、たとえ耳をふさいでいたって届く。拳をつきあげて煽ってやれば、さらに高まるボルテージ。
泣いている場合じゃないのに、うれしくて、すこしだけ視界がにじむ。応えてくれるんだね、嘘つきだった僕たちに。
ねえ、これからの僕たちも見てくれるかな?

ハードなダンス、聴かせるバラード、これまで僕たちいろんな曲を歌ってきたんだね。
一瞬のできごとみたいに過ぎていく。
どんなに息が切れても今は苦しくない。
心が叫ぶ、みんなに届きますように。
ふたりでひとつの僕たちが、まぶしく輝くステージが、これからも続いていく、僕たちの愛が。

「最後に、今日は新しい曲があるんだ」
「このクリスマスライブのために準備したとっておきだ」
「だからみんな、もっともっと、盛り上がれるよね?」
「聴かせてやるぜ、俺たちの歌!」

こんな言い方しかできないけれど、本当はみんなに聴いてほしいんだ。強羅さんだけじゃない、こんな僕たちを愛してくれるすべての人に。
大音量のステージの上で、ハルの鼓動や息遣いまでわかる気がした。
視線が交わる。合図がなくても声が揃う。

「「星降る海のSTAGEで」」

いつかの日に聴いた、綺麗なメロディーが流れ出す。
愛なんて知らなかった僕たちがつまらない曲だと言ってポイ捨てしたデモテープの中身、そしてそのままずっと歌われることなく眠り続けた曲。そして再び宇宙から届いた曲。離れ離れにになりかけた僕たちをもう一度つなぎとめてくれた、大切な曲。
歌詞の言葉ひとつひとつが愛おしくなる。
美しい旋律が心をふるわせる。
この曲の意味が、あの頃にはわからなかった。
だけれども、自信がある。いまの僕たちならちゃんとこの曲を歌える。いまの僕たちにしか歌えない曲だ。

今日この日に、クリスマスにどうしてもこの曲を歌いたかったって、ハルは言った。クリスマスは幸せを分け合う日だから、って。
去年のクリスマスにふたりで分け合った強羅さんのぬくもり。僕たちが生み出した怪人すら愛で満たした、そんなクリスマスの奇跡。忘れるはずがない。

そしてユモトに教えられたこと。アイドルならその幸せを、もっとたくさんの人と分け合える。
たくさん話して一緒に悩んで考えた。離れ離れになった僕たちがもう一度寄り添うために。
そしてアイドルの愛を、僕たちがずっと求めてきたものを、小さな僕たちに強羅さんが与えてくれたものを、次は僕たちが与えるために。

ハルの片手を取って繋ぐ。もう片方は観客席に差し伸べる。みんなに少しでも多く届けられるように。
ねえハル、僕いまとても幸せだ。
ほら、顔を見ればちゃんとわかる。ハルも同じ気持ちだよね。
ふたりきりで埋めあっていた心の隙間が満たされていく。こんなにもたくさんの愛で。
ありがとう、みんなにも僕たちの幸せを分け合えていたらいいな。
だって僕たち、アイドルだから。


◆


窓辺に腰掛けて夜空を見上げる。綺麗な月がのぼっていた。
クリスマスの夜。華やかな電飾で彩られた街は、しんしんと夜が深まってもなお瞬き続ける。浮き足立った雰囲気。ライブ後の熱に浮かされた観客たちの高揚が、まだそこかしこに残っているように感じられた。

隣で月を眺めているハルのゆびさきを探り当てると、そっと指を絡める。ぬくもりが伝わる。
片手を繋いで、もう片方は空けたままで。
ハルと繋いでいない手のひらはすこし寂しいけれど、この手はもう、自分を愛してくれる人たちのために空けてしまった。
ふたりで両手とも繋いでいた手を片方空けて、その空いた手をたくさんの人に伸ばして、そうして僕たちは愛を分け合えるようになったから。幸せをもっとたくさんの人と分け合えるようになって、僕が繋いだ手のそのまた隣へ、そうして先へ先へと、幸せは続いていく。

たったふたりぼっちで行き詰まったまま生きていて、ただひたすらに騙して誑かして唆して、そうして奪ってきたわずかな愛を分け合っていた、嘘ばかりの僕たちだった。
それでも、僕たちはアイドルで。
たくさんの人を幸せにできる力を、どうやら僕たちは持っているらしい。
愛してもらったらそのぶん僕たちが幸せにする。そうして紡いだ愛はどこまでも続いていく。

幼かった僕たちが漠然と求めていたなにか、そして僕たちのこころを満たしてくれたもの。
強羅さんから初めて与えられて、あの日僕たちが願った夢は、無限に広がる宇宙のような愛。

「ねえ、ハル」
「なに、アキ」
「キス、しようか」
「今更聞くのか?」

くすくすとおかしそうにハルが笑う。つられて僕も笑った。
こどもみたいに、薄暗い夕暮れの中、秘密を共有するいたずらっこみたいに。
きっとハルもわかってる。
僕たちはアイドルで、もうふたりぼっちじゃいられない。これから先きっとたくさん大切なものができて、たくさんの人たちに囲まれて、たくさんの人を愛し愛され、生きていく。
でも。
それでも、この片手だけはずっと離さずに生きていきたい。
だって、何億光年離れたって追いかけてきたくらい諦めの悪い僕たちだ。思いの強さには自信があった。
たとえふたりぼっちじゃいられなくなっても。
これからもふたり一緒に生きていきたいと、そう思ったから。

僕たちは月と太陽。どちらもあるからこそ、この宇宙は光で満ちる。
その光が途切れることなく未来永劫続いていくための、それが世界のきまりごと。

「じゃあおやすみ、アキ」
「うん、また明日、ハル」

さよならは言わないけれど、きっと言葉にしなくても今の僕たちならわかる。僕の愛するたったひとりの半身。ふたりでひとつになりたかった僕たちへ、別れのキスを。
そして、これから続いていく未来へ願う。
触れているくちびるが離れてしまっても、ずっとずっと、僕たちがこの片手を繋いで生きていけるように。


深まった夜はいよいよ明けの時間が近づいて、窓の外の景色が白む。
繋いだゆびさきの向こうに広がった空の上で、月と太陽が交差する。


2017.4.23 ラブプリ7にて発行