ぬくもりのよすが
まだ僕たちが駆け出しアイドルだったころの思い出だ。 地方巡業で少し遠出をした。宇宙のどこか、派手な街ではなくて静かな村のようなところだった。詳しい場所なんてとっくに忘れたけれども、とにかく寒かったことはよく覚えている。 今日もいつもどおり、人入りのまばらな観客席。 しょぼいライトとひび割れそうな音響設備でようやく成り立っているような屋外ステージの上で、僕たちはたった二曲の持ち歌を、精一杯に歌う。 寒さでうまく声が出ない。手足もかじかんで思ったように動かせなくて、ステップが乱れる。ダンスを間違えた。立ち位置が半歩ずれる。ハルと肩がぶつかる。しまった、ごめん、どうしよう——曲の最中、なにを言うこともできずに視線だけを向けると、ハルと目が合った。 不安そうな顔をしていた。 僕もきっと、同じ顔をしていたのだろう。 何がアイドルだ。ボロボロのパフォーマンス。笑顔どころか、いまにも泣きそうな顔。今すぐにでも投げ出して帰りたくなる気持ちを堪えて、定められた旋律を最後まで歌い踊りきる。 鳴り終わるアウトロ。一瞬の静寂に恐怖する。 ぱらぱらと申し訳程度の拍手。 それさえも、今の僕たちにとっては相応以上の評価だ。その事実が、この拍手に安堵した自分自身の心が、ひどく屈辱的だった。 ステージを降りる直前、横目で観客席を伺う。 「&#**!¥+??」 「@>#$?*=!」 この宇宙からすればド田舎の星である地球でずっと暮らしてきた、地球生まれ地球育ちの僕たちには、彼らの宇宙語が聞き取れない。宇宙人の中には、喜んでいるのかがっかりしているのか、表情すら読み取れない者もいる。 それでも、このステージが賞賛に値するものでないことくらい、僕たち自身が一番よく理解していた。 「——はやく、はやくゴウラーに会いに行きたいのに、どうして」 舞台袖で悔しさに震えるハルの手を取る。 寒さに冷えきった僕の手とは違い、その手にはぬくもりが灯っていた。凍えるような風が吹き付ける中で、握ったハルの手だけが温かかった。 ◆ ゴツン、と結構痛そうな音がひざの上から聞こえた。 ソファに座った僕の脚の上に、膝枕よろしく頭を乗っけてこようとしたハル。それなりの勢いで傾いてきたハルの頭が。僕の舞台衣装の装飾品と盛大に衝突する音だった。 「痛っってええええ!?」 「バカ。これ衣装なんだから気をつけてよ」 幸い衣装の方には異常なし。本番前のこのタイミングで壊れては大変だから、とりあえず一安心。 ボトムの衣装は隙間から肌を見せるようなつくりになっていて、太腿の部分が開いているのが僕の衣装の特徴だ。 チラ見せする素肌の上にあしらわれているのは、僕のモチーフである月をかたどる装飾。銀色に光るなめらかなシルエットを指でなぞる。 お金をかけてもらえるようになって、最初に作ってもらったこの衣装は今でもお気に入りだ。 シルバーの月の、傷ひとつないその美しさに今日も満たされる。 「ちょっとは俺の心配とかないのか!?」 つい衣装の方を先に心配してしまったことに気づく。後頭部を押さえてソファにひっくり返っているハルの頭のほうも、まあ、問題ないと思うけど。 「もう衣装に着替えてるのに、子供みたいに膝枕をねだったハルのせいでしょ。自業自得、知ってる?」 「アキってたまに俺にも辛辣だよな」 「まったく、一応見てあげるからこっちおいで」 「クッソ〜……」 悪態をつきながらも素直にやってくる。しゅんと頭を垂れた姿がうなだれている犬みたいでなんだか笑ってしまう。 髪の毛をかきわけて、万一に血でも出てないか傷を探してみるけれど、少し赤くなってるくらいで平気そうだった。 うん、大丈夫そう。 確認のために乱してしまったアイスブルーの透き通るような髪を、そっと手櫛で整える。 もういいよ、と声をかけようとしたところで、自分の脚に違和感を覚える。 「ハル、ちょっと、なにしてるの」 僕の脚にあしらわれた月の飾りを、ハルの指が撫でていた。 自分で撫でるのとは違う感触。気まぐれに動き回るゆびさきは、なんだかこそばゆい。 「人が心配してやってるのに、のんきなものだね」 「ごめん、目の前にあったから、つい」 そう言いつつもハルの手は脚の上に乗ったままだった。 月の飾りを撫でていた指がその隙間をすり抜けて、素肌を晒す脚に触れる。ハルのあたたかいゆびさきが、肌の上を這う。 「アキ、つめたい」 「そう?」 「そうだよ」 「そうかな」 「つめたいから、たまに生きてるのか心配になる」 「生きてるよ」 確かに僕の体温はハルのそれよりもいくらか低いらしいし、肌を出している部分はどうしても冷えやすいけれども。 なにか不安にさせただろうか。 衣装を先に心配したのは、まあ、悪かったと思う。 僕が考え込んでいる間も、ハルは僕の脚に指を這わせたまま、じっとそのゆびさきをみつめている。 いつだってハルの言いたいことはわかってる——けど、目を合わせられないままじゃわかりにくいから。 「ハル」 くい、とハルの顎をもちあげる。ようやく目が合った。 ああ。ちゃんとわかるよ。 つい口元が緩む。 そのまま、不意打ちでくちづけた。 ちゅ、と小さく音が鳴る。 見開かれたハルの目を見て、なんだか満たされた気持ちになった。 秘密を作るのは、僕のほうがすこしだけ上手だ。 「……びっくりした」 「それはよかった」 「急になにすんだよ」 問いかけるその顔には、恋する者同士のような照れや恥じらいがあるわけじゃない。本当に、突然そうしたから驚いただけで。 これは、ごく当たり前の触れ合いだった。 僕たちふたり、いつだってこうしてきたのだから。 「——ハルの手ってあったかいよね」 「そう、かもしれないけど」 「ハルがさ、そうやって触ってくれるから」 「うん」 「ハルが触ってくれるとあったかいなって思うから、生きてる感じがするよ、僕も」 その手を取って、衣装の隙間から覗く素肌に押し当てる。 あたたかい。 じわりと伝わる体温に、心まで温かくなるような気がした。 ——ああ。安心する。 ハルの体温に触れると気持ちが落ち着く。不安な時はこうして触れあえばいつだって互いの存在が確かになる。 「アキ、跡、ついちゃうから」 本番前なんだから、と、僕の手をほどいて、ハルがそっとゆびさきを離す。いとおしいぬくもりが遠ざかることに、すこし寂しさを覚える。 白かった肌は温められて紅みを帯びて、手の形に沿って跡がついていた。 「もうついてたね」 くすくすと笑う。 ほんのりと肌を染める赤みは、なんだかくちづけの印みたいで、背徳感がある。 「キスマークみたいだ」 やっぱり同じこと考えてた。 こんな何気ないやりとりでも同じであることに、双子であることに心地よさを感じる。 「温まっただけだから、本番までには消えるよ」 「それもなんだか寂しいけど」 「アイドルがキスマークつけて舞台に上がるわけにはいかないでしょ」 「それもそうだ」 なんて言いながら、ハルが僕の太腿にそっとくちづける。 触れるだけの優しいキス。 跡は残らないけれど、その儚いぬくもりがいとおしくて、ハルの唇が触れた部分を優しく、ゆびさきでなぞる。 「ハル、あったかいね」 「アキはやっぱりつめたいな」 「——僕、ハルの温度をもらってばっかりだね」 僕もハルを温めてあげられたらよかったのに。 もらってばっかりだ。 まだ幼かったあの日、ハルの体温に支えられたみたいに。 「アキはそれでいいよ」 「ハル……」 「触ったらわかるから。つめたいけど、ちゃんと血が流れてて、生きてるってわかるから、いいんだ。確かめるために触るから」 「——ああ」 そういうことか。 今更みたいに理解する。 僕がハルに触れるたびにその体温に安心していた。 ハルは僕に触れること、そのもので安心している。 同じなんだってこと。 扉の向こうからスタッフの声が聞こえる。ダダチャも戻ってきたみたいだ。もう間もなく、本番が始まる。 僕たちの舞台が。 あの頃とはもう違う、ゴウラーに会いに行くための確実な一歩になるステージだ。 きっともうすぐ、もうすぐ会えるよ。 ねえ、ハル。 ハルがいてくれたから、僕がどんなに凍えても温めてくれたから、ここまで来れたんだ。本当に太陽みたいで、あたたかくて、僕を照らしてくれるまばゆい光だった。 そんなハルと触れ合って、安心して、そうじゃないと僕は冷たくなって消えてしまいそうな不安に襲われる。 「ずっとふたりで生きていけたら、いいのに」 僕、ハルがいないと生きていけないんだ、きっと。 ああ、もしもそうなら。 ハルが僕に触れることで安心してくれているなら、それなら、ハルも同じだったらいいのに。 舞台袖で、そっと自分の脚に触れる。 飾られたシルバーの月のとなりに、ハルのくちびるのぬくもりが残っているような気がした。
アンソロ「絶対領域☆Melty LUNA☆」の執筆分